1990年代に個性的なファッションと高いテンションで「シノラー」という流行を作り出した女優・タレント・歌手・デザイナーの篠原ともえさん。
その篠原ともえさんは、実はお嬢様だったという噂があります。
本当に篠原ともえさんはお嬢様なのでしょうか?
その真相に迫るべく、篠原ともえさんの学歴や経歴、実家や家族、現在の活動などを調べてみました。
それでは、早速見ていきましょう!
篠原ともえのプロフィール
まずは、篠原ともえさんについて簡単に紹介しましょう。
篠原ともえさんは、1979年3月29日生まれの44歳です。
東京都青梅市出身で、文化女子大学短期大学部服装学科を卒業後、ソニーのオーディションに合格し、1995年に「篠原ともえ+石野卓球」名義で歌手デビューしました。
その後は、バラエティ番組やドラマなどで活躍し、女性芸人の先駆者として名を馳せました。
代表作には、「笑っていいとも!」、「LOVE LOVE あいしてる」、「金八先生」、「こどものおもちゃ」などがあります。
篠原ともえさんの芸風は、下ネタや自虐ネタを多用し、原色を基調とした個性的なファッションで、「シノラー」と呼ばれるファンを獲得しました。
また、創価学会の信者であることを公言し、公明党の選挙応援や広報ビデオにも出演しています。
篠原ともえはお嬢様だった?
では、なぜ篠原ともえさんはお嬢様と呼ばれるようになったのでしょうか?
その理由には、以下のようなものが考えられます。
イメチェンした落ち着いた雰囲気
篠原ともえさんは、デビュー当時から2010年代前半までは、テンション高く甲高い声でまくし立てるような喋り方や、派手で奇抜なファッションで知られていました。
しかし、2010年代後半からは、落ち着いた喋り方や、シックで上品なファッションにイメチェンしました。
このイメチェンは、年齢に合わせて自然に変化したもので、打算的なものではなかったと篠原ともえさんは語っています。
しかし、このイメチェンによって、篠原ともえさんの持つ気品や育ちの良さがより際立つようになり、お嬢様というイメージが定着したのではないでしょうか。
母方の曾祖母が伊豆諸島青ヶ島の最高巫女だった血筋
篠原ともえさんは、母方の曾祖母が伊豆諸島青ヶ島における最高巫女といわれていた廣江のぶゑ(ひろえ のぶえ)さんという方の子孫です。
廣江のぶゑさんは、青ヶ島の火山の噴火を予言したり、島民の病気を治したりするなど、神秘的な力を持っていたと言われています。
篠原ともえさんは、この曾祖母のことを尊敬しており、自分のルーツとして誇りに思っています。
また、篠原ともえさんは、青ヶ島の親善大使として、島の魅力を発信したり、島でライブを開催したりするなど、島との関係も深いです。
このように、篠原ともえさんは、伊豆諸島青ヶ島の最高巫女の血筋を引くという、特別な家系に生まれたのです。
これも、お嬢様と呼ばれる一因となったのではないでしょうか。
篠原ともえの学歴や経歴
篠原ともえさんは、お嬢様と呼ばれるだけでなく、学歴や経歴も素晴らしいです。
篠原ともえさんは、東京都立八王子工業高等学校(現・東京都立八王子桑志高等学校)・応用デザイン科を卒業後、文化女子大学短期大学部・服装学科に編入し、服飾の専門的な知識や技術を身につけました。
また、篠原ともえさんは、歌手としてだけでなく、女優やタレントとしても多くの作品に出演し、幅広いジャンルで活躍しました。
特に、ミュージカルや舞台では、主演やヒロインを務めることも多く、演技力も高く評価されました。
さらに、篠原ともえさんは、ファッションデザイナーとしても才能を発揮し、自身の衣装やコスチュームのデザインや製作を手掛けるだけでなく、着物や子供服などのオリジナルブランドを立ち上げました。
このように、篠原ともえさんは、学歴や経歴もお嬢様にふさわしいものと言えるでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
篠原ともえさんは、お嬢様と呼ばれるだけでなく、学歴や経歴も素晴らしいことが分かりましたね。
また、篠原ともえさんは、現在でも、テレビや映画や舞台やファッションなどで、自分の芸能人としての魅力を発揮しています。
この記事を読んで、篠原ともえさんに対するあなたの見方が変わったのではないでしょうか。
篠原ともえさんのこれからの活躍も楽しみですね!
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