東京・池袋で2019年4月に起きた乗用車の暴走事故で妻子を亡くした松永拓也さん。
あれから4年経ちましたが、まだ多くの人たちの心に傷を残していますね。
そして、松永拓也さんのひたむきで真摯な姿は、多くの人の心を打ちました。
松永拓也さんの妻と子供はどういう人達だったのでしょうか。
そして、妻の事故直後の様子はどうだったのでしょうか。
早速見ていきましょう。
松永拓也さんの妻子は、松永真菜さんと松永莉子ちゃん!
松永拓也さんの妻子は、松永真菜さんと松永莉子ちゃんで、
事故が起こった時は、真菜さん31歳、莉子ちゃんがたったの3歳でした。
松永真菜さんは沖縄県出身で、松永拓也さんの仕事のため、東京に移住していました。
莉子ちゃんは、とても可愛らしい女の子で、美しい真菜さんによく似ていました。(拓也さんのお話より引用)
莉子ちゃんが生まれたのは、16年1月11日のこと。
生まれた時には、2人で「かわいい!!」と歓声を上げ、嬉し泣きしたそうです。
つくづく、あの場(出産の場)にいられてよかったと思うんです。命の重みというか、一つの生命が生まれるというのはこんなに大変で、神秘的なことなんだと知りました。大変ながらも充実した子育ての日々が、ずっと続くものだと信じていました。
松永拓也さん談
事故当日の19日は、松永拓也さんはいつもどおり、朝7時10分くらいに家を出ました。
莉子ちゃんはそのころ、彼女のブームだった“おしりバイバイ”で見送ってくれたそうです。
お昼休みの、スマホを使ってのテレビ電話も、いつもと同じで元気に話していたそうです。
あの事件の日、真菜さんと莉子ちゃんは、自宅から10分ほどの南池袋公園にいました。
松永拓也さんと真菜さんの間には、こんな会話がされたそうです。
真菜さん「お父さん、今日は定時? お仕事、がんばってね」
拓也さん「あれ、珍しく今日は自転車なんだ。気をつけて帰るんだよ」
真菜さん「じゃあね」
これが、2人の最後の会話となりました。
松永真菜さんの事故直後の様子は!?
松永真菜さんの事故直後の様子については、真菜さんの父・上原義教さんが語っています。
上原義教さん
「真菜は、重傷を負いながら、自転車から放り出された莉子のところまで、はいつくばっていこうとしていたということでした。自分のことよりもね、娘のことを思って」
真菜さんは大変愛情深く、大変素晴らしい人柄だったそうです。
自分の身が重体であっても、莉子ちゃんのことを真っ先に考え、すぐにそばにいこうとしたのでしょう。
のちの医師の診断によると、莉子ちゃんは残念ながら即死、
真菜さんもほぼ即死だったとのことですが、微かに残る意識の中で、必死に莉子ちゃんの元へ行こうとしたのでしょう。
胸が痛くなりますね、、。
事故後、警察に呼ばれた松永さんですが、その時のことをこう語っています。
対面した2人の遺体には、顔に布がかぶせられていました。
まず真菜の顔をめくったらズタズタなんです、もう、傷だらけで。
次に莉子を見ようとしたら、看護師さんが、「娘さんは、見ないほうがいいと思います」。
親族からも、「将来、莉子ちゃんの顔を思い浮かべるときに、あのかわいい顔を思い出せなくなるよ」。
そうか、と思って。
莉子は、その後、業者の方から、遺体を修復するエンバーミングに「顔だけで3日かかります」と言われたほどのひどい損傷でした。
後日、遺体が自宅に戻ったとき、やっぱり、どうしても最後に莉子に会いたくて、顔の布を0.5ミリだけでも下げようとして、これはダメだとわかりました。
あれ以上、動かしてたら、僕の心は一生壊れていたでしょう。
松永拓也さん談
莉子ちゃんの損傷は激しく、親族は皆、病院と警察側に顔を見るのを止められたそうです。
真菜さんの父・上原義教さんと、莉子ちゃん最後の会話はこうでした。
「莉子は海に入って足をつけるだけでも怖がって泣いていました。最後のテレビ電話で莉子は『次は泣かずにちゃんと泳ぐからね。じーじ、また沖縄の海に連れて行ってね』と話しました。そして、新しく買った水着を見せてくれました。『かき氷を食べたい』とも話していました。それが真菜と莉子との最後の会話です」
上原義教さん談
そして事故後、松永拓也さんと上原義教さんは、遺族として交通事故撲滅に向けて、立ち向かっていくことになります。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
松永真菜さんの最後の瞬間の話は、子を想う母の気持ちがよく現れていて心が痛みますね。
お二人のご冥福を心よりお祈りいたします。
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