今回は、第100回箱根駅伝で見事に区間賞を獲得し、青山学院大学の2年ぶり7回目の総合優勝に大きく貢献した太田蒼生選手についてご紹介します。
太田選手は、3区で駒澤大学の佐藤圭汰選手を追い抜きトップへ浮上し、日本人初となる59分47秒の快走で区間賞を獲得しました。
この走りは、箱根駅伝の歴史に残る名走と言えるでしょう。
しかし、太田選手は箱根駅伝だけでなく、中学・高校時代から全国レベルの実力を持つランナーだったのです。
今回は、太田選手の中学・高校時代の走りを振り返り、箱根駅伝で見せた日本人初の快挙につながった秘密を探っていきたいと思います。
太田蒼生のプロフィール
まずは、太田選手のプロフィールを簡単におさらいしましょう。
• 生年月日:2002年8月26日(21歳)
• 出身地:福岡県糟屋郡篠栗町
• 所属:青山学院大学陸上競技部
• 身長:176cm
• 体重:58kg
• 自己ベスト:
• 1500m:3分59秒20
• 5000m:13分53秒10
• 10000m:28分20秒63
• ハーフマラソン:1時間02分27秒(非公認)
太田選手は、中距離・長距離の専門選手として、青山学院大学の主力メンバーとして活躍しています。
太田蒼生の中学時代
太田選手の中学時代は、福岡県の篠栗北中学校に通っていました。
中学3年生の時には、福岡県中学校駅伝で1区を走り、現在東洋大学のスーパールーキーとして注目されている石田洸介選手に次いで区間2位に入りました。
同年には全国中学校陸上競技大会の男子3000mに出場し、8分35秒57のタイムで9位に入賞しました。
この時の優勝者は、現在早稲田大学のエースとして活躍する村井駿選手でした。
太田選手は、中学時代から全国レベルの実力を持つランナーだったことがわかります。
太田蒼生の高校時代
太田選手の高校時代は、福岡県の大牟田高校に進学しました。
大牟田高校は、福岡県有数の陸上の強豪校として知られており、太田選手も3年間全国高校駅伝に出場しました。
高校1年生の時には、6区を走り、10位でタスキをつなぎました。
高校2年生の時には、4区を走り、6位でタスキをつなぎました。
高校3年生の時には、1区を走り、10位でタスキをつなぎました。
太田選手は、高校時代にも安定した走りを見せ、チームの全国大会出場に貢献しました。
また、高校時代には、個人種目でも自己ベストを更新しました。
高校2年生の時には、1500mで3分59秒20、5000mで14分06秒67のタイムをマークしました。
高校3年生の時には、10000mで28分32秒17のタイムをマークしました。
太田選手は、高校時代にも全国レベルの実力を維持し、さらに成長しました。
太田蒼生の大学時代
太田選手の大学時代は、原晋監督からのスカウトを受けて、青山学院大学に入学しました。
青山学院大学は、箱根駅伝の常連校であり、2015年から2019年まで5連覇を達成した強豪校です。
太田選手は、1年生から箱根駅伝に出場することを目指しましたが、同期には鶴川正也選手や近藤幸太郎選手などの実力者がおり、出場のチャンスはなかなかありませんでした。
しかし、太田選手は諦めずに練習に励み、徐々に成績を伸ばしました。
大学1年生の時には、兵庫リレーカーニバルの男子5000mで2位に入りました。
また、宮古サーモンハーフマラソン(非公認)で優勝しました。
大学2年生の時には、絆記録挑戦会の男子5000mで13分53秒10の自己ベストを更新しました。
また、宮古サーモンハーフマラソン(非公認)で2連覇を達成しました。
そしてついに、第100回箱根駅伝に出場。
往路3区を走りました。
3区は、往路で最も距離が長く、平坦と上り坂が交互に続く難しい区間です。
ですが、日本人初となる59分47秒の快走で区間賞を獲得し、青山学院大学の2年ぶり7回目の総合優勝に大きく貢献しました。
まとめ
太田選手は、箱根駅伝で見せた日本人初の快挙で、陸上界の新たなスターとして注目されています。
彼は、中学・高校・大学と全国レベルの実力を持ちながら、常に努力を続けてきました。
その姿勢は、原晋監督からも高く評価されています。
原監督は、太田選手について「彼は自分の弱点をよく分かっていて、それを克服するために一生懸命に取り組んでいる。彼はまだまだ伸びる選手だと思う」と語っています。
太田選手は、箱根駅伝の後に「自分の走りに自信がついた。もっと速くなりたい」とコメントしています。
太田選手は、今後も中距離・長距離の専門選手として、さらなる成長を目指していくでしょう。
彼の今後の活躍に期待しましょう!
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