山本由伸さんの出身高校は、宮崎県の都城高校です。
岡山から宮崎、そしてプロへ進んだ山本由伸の歩み。背景は実際の校舎・球場を再現したものではありません。
生まれ育ったのは岡山県備前市で、高校の所在地と出身地が異なるため、「岡山出身」「宮崎の高校出身」の両方が正しい説明になります。
甲子園の本大会には出場せず、2016年のドラフト4位でオリックスに指名され、プロ入りしました。
今の活躍からは、学生時代からずっと全国大会の中心にいた選手を想像するかもしれません。
この記事では、出身地と高校、指名された年、投手として役割を広げた過程を分け、身長などの基本プロフィールまで整理します。
公式資料の確認日は2026年10月8日です。
山本由伸の出身は岡山県備前市。高校は宮崎県の都城高校

山本さんを紹介する記事で岡山と宮崎の両方が出てきても、記述が食い違っているとは限りません。
あなたも、出身地と出身校が別の県だと知って「なぜ?」と思いませんでしたか?
岡山県備前市は育った土地、宮崎県は高校時代を過ごした土地として分けて見ると分かりやすくなります。
オリックス公式の紹介では、備前市で生まれ、中学生まで過ごした後、高校時代は宮崎県で過ごしたと説明されています。
| 項目 | 山本由伸のプロフィール |
|---|---|
| 出身地 | 岡山県備前市 |
| 出身小学校 | 伊部小学校 |
| 出身中学校 | 備前中学校 |
| 出身高校 | 宮崎県・都城高校 |
小中学校は、備前市の山本選手へのお祝いページで、出身校からのメッセージとして伊部小学校と備前中学校が紹介されています。
地元と高校の土地を一つにまとめず、それぞれの時期を知ると、応援する地域が複数ある理由も見えてきますね。
なぜ岡山から都城高校へ進んだのか
都城は「みやこのじょう」と読みます。岡山から九州へ進路を選んだ背景は、本人と当時の指導者の取材からたどれます。
都城市の広報に掲載された本人インタビューでは、先に進学した東岡山ボーイズの先輩から、野球に集中できる環境だと聞いていたことが紹介されています。本人が決めた進路を両親も応援し、親元を離れる決断につながりました。
さらにNumber Webによる中学時代の指導者への取材では、都城高校の森松賢容監督との縁が語られています。森松さんは岡山の作陽高校でコーチを務めた経験があり、東岡山ボーイズの卒業生が都城へ進んでいたつながりがありました。
遠い県の高校名だけを見ると突然の進学に感じますが、実際には先輩や指導者を通じた接点があったのですね。筆者は、この具体的なつながりを知ると、短い経歴欄が一人の選手の進路として見えてきます。
小学校では捕手、中学では二塁手も経験
山本さんは、幼いころから投手一筋だったわけではありません。高校在学中の週刊ベースボールの取材記事によると、伊部パワフルズでは捕手兼投手、東岡山ボーイズでは二塁手兼投手としてプレーし、それぞれ全国大会を経験しています。
この記事は2016年2月23日公開で、当時の山本さんを151キロの右腕として紹介しています。後年の成功を知ってから付けた評価ではなく、プロ入り前の取材で既に速球と野手としての力が取り上げられていた点が興味深いところです。
高校時代の甲子園出場はなし。それでもプロの指名へ

山本さんは都城高校で投手として力を伸ばしましたが、高校時代に甲子園の本大会へは出場していません。
私たちファンも、甲子園に出ていない選手がプロで頂点に立つ姿を見ると、評価の難しさを感じますよね。
オリックスの公式紹介も、夏の選手権大会や春の選抜大会への出場がなかったことを説明しています。
現在の実績だけを先に知ると、甲子園で大活躍した投手だったと思い込んでしまうかもしれませんね。
ここが、山本さんの歩みを知るうえで印象的な点です。
投手を本格的に担ったのは高校1年の夏以降
都城市のインタビューでは、高校1年夏の大会が終わったころに投手へ転向したと振り返っています。中学までにも投球経験はありましたが、高校で本格的に投手として取り組む段階へ進んだと読むと、経歴がつながります。
投手用の練習では走るメニューのきつさを感じていたそうです。その後、150キロ台の速球とスライダーを武器に、プロが注目する投手になりました。
甲子園では見られなかった成長を、当時の記事で追える
週刊ベースボールの2016年の記事には、前年秋のノーヒットノーランと完全試合のスコアブックを手にした写真も掲載されています。甲子園の本大会へは進めなくても、高校で目立った投球をしていたことが、当時の資料から分かります。
中学の指導者はNumberの取材で、都城進学が決まってから卒業までに球速が120キロ台から130キロに達したと回想しています。高校で150キロを出したと聞いたときには驚いたとも語っており、離れた場所で大きく伸びた様子が伝わります。
テレビの全国大会で名前を覚えた選手とは、知るきっかけが違うかもしれません。山本さんは、地元・中学・高校の資料をつないで読むと、プロ入り前の変化がよりよく見える選手です。
寮生活の思い出も残る、第二のふるさと
都城市の取材では、洗濯や掃除を自分でする寮生活で親のありがたみを感じたこと、仲間とグラウンドへ通った時間が思い出になっていることも紹介されています。本人は都城を第二のふるさとと表現しています。
プロフィールの「都城高」という短い表記には、練習だけでなく暮らしの時間も含まれているのですね。岡山の出身校と宮崎の高校、両方の地域から声援が届く経歴として覚えておきたいです。
本人は2025年の球宴前日に、高校時代について「むちゃくちゃ走らされましたね」と振り返り、それでも「無駄にはなっていない」と語っています。
出典はデイリースポーツ2025年7月15日の記事です。
2016年ドラフト4位。救援を経験して先発へ進んだ

山本さんが指名されたのは2016年のドラフト会議で、順位はオリックスの4位でした。
あなたは、応援する選手の役割が変わった瞬間を覚えていますか?
球団公式のドラフト指名史には、「山本由伸・都城高校・投手」が2016年の4位に記されています。
指名翌年の2017年がプロ1年目。その後も、救援から先発へと担当する役割が変わっていきました。
最初から現在と同じ役割だったわけではない
山本さんは、プロ入り後も一つの役割だけを続けた投手ではありません。
NPB公式の年度別記録を見ると、最初の3年間に次の変化があります。
| シーズン | 一軍登板 | 投球回 | 経歴のポイント |
|---|---|---|---|
| 2017 | 5試合 | 23回2/3 | プロ1年目の一軍経験 |
| 2018 | 54試合 | 53回 | 救援で多くの登板を重ねる |
| 2019 | 20試合 | 143回 | 先発を担うシーズンへ |
2018年から2019年には、登板試合数は54から20へ減った一方で、投球回は53から143へ増えています。
試合数だけを見ると働きが小さくなったように感じるかもしれませんが、長い回を担当する先発への変化があるためです。
登板数の増減だけで活躍を判断できないことが、この二つの数字からよく分かります。
役割が変わると、見る記録も変わる
救援では短い登板で試合の流れを支える場面が多く、先発では試合の最初から複数の回を組み立てる働きが求められます。
どちらが単純に上という話ではなく、投手に求められる仕事の範囲が異なります。
山本さんの2018年の記録にホールドやセーブがあり、2019年に投球回が増えるのは、こうした役割の違いと合わせて読むと理解しやすいですね。
筆者は、今の先発投手としての姿から過去を見る場合も、救援での一年を空白のように扱わないことが大切だと思います。
現在の球種やシーズン成績まで知りたい方は、山本由伸の成績と投球の解説で続きを確認できます。
筆者は、登板数と投球回が逆方向に動くこの年表を見ると、成長が単なる数字の右肩上がりではないことに気付かされます。
選手を長く応援する面白さは、結果だけでなく、任される仕事の変化を見られるところにもあります。
身長・誕生日・投打のプロフィールと、観戦につながる読み方

高校や出身地を知ったら、基本プロフィールも一度まとめてみましょう。
次の登板で、あなたは山本さんのどこを最初に見ますか?
英語の選手ページでは、Yoshinobu Yamamotoという表記でも探せます。
NPBの選手名鑑では、山本さんは1998年8月17日生まれ、右投げ右打ち、身長178cm、体重80kgと掲載されています。
侍ジャパン公式の2026年プロフィールにも178cm・80kgと記載されています。
体格の数値はプロフィールとして公表された値で、日々の実測値を示すものではありません。
| 項目 | 掲載情報 |
|---|---|
| 名前の読み方 | やまもと よしのぶ |
| 生年月日 | 1998年8月17日 |
| 年齢 | 2026年10月8日時点で28歳 |
| 投打 | 右投げ・右打ち |
| 身長・体重 | 178cm・80kg(NPB/侍ジャパン掲載) |
高校からプロ、そして代表へ
高校進学時に全国的な知名度が高かったかどうかよりも、どの時期にどんな役割を担ったかを追うと、現在までの歩みが分かりやすくなります。二塁手や捕手を経験した少年時代、高校での投手への転向、オリックスでの救援と先発という順番です。
身長や体重は公表プロフィールの値です。映像を見るときは体格の大きさだけでなく、投球動作とボールの行方も一緒に眺めると、数字だけでは伝わらない投手の特徴に気付けます。
代表と球団の経歴は並行している
侍ジャパンの公式経歴には、都城高、オリックス、ドジャースという流れが掲載されています。
代表への参加は、所属球団を一つずつ移った年表とは別の活動です。
代表戦で大谷翔平さんと一緒にプレーした場面と、ドジャースでチームメートとして過ごす場面を分けると、二人の関係も追いやすくなります。
興味のある方は、大谷翔平と山本由伸の関係もご覧ください。
次の登板を見る前に、出身地、高校、プロで役割が変わった時期を一つずつ思い出してみると、マウンド上の姿に重なる時間が増えますね。
ネットでは、こんな声が、、!
「甲子園に出ていないのに世界一の投手になるの、夢がある」
「ドラフト4位からこの契約、スカウトの目ってすごい」
「岡山と宮崎、両方で応援されているのがいい」
筆者は、目立たない中学生を見抜いた指導者と、走り込みを「無駄ではない」と言える本人の両方に、今の姿の理由を感じます。
筆者は週末に地図アプリで備前市と都城市を続けて開いて、その距離に少し驚きました。
よくある質問
山本由伸は宮崎県出身?
出身地は岡山県備前市で、高校時代を宮崎県で過ごしました。
「都城高校出身」という学歴の表現と、生まれ育った地域の表現を分けると整理できます。
高校時代に甲子園へ出た?
オリックスの公式紹介では、春の選抜と夏の選手権の甲子園本大会には出場していません。
その後、都城高校から2016年ドラフトで指名されました。
ドラフトは2016年と2017年のどちら?
指名されたドラフト会議は2016年です。
プロ1年目の公式戦シーズンが2017年なので、指名年と入団後の活動年を区別してください。
山本由伸の身長は何cm?
NPB名鑑と侍ジャパンの2026年プロフィールでは178cmです。
本記事では出典をそろえて記載し、掲載値を日々の実測値とは扱っていません。
まとめ
山本由伸さんは岡山県備前市で育ち、宮崎県の都城高校から2016年ドラフト4位でプロ入りしました。
甲子園出場の有無や指名順位だけでは、その後の選手人生を説明し切れないことが分かります。
プロでは救援を経験して先発へ役割を広げており、登板数と投球回の変化にも歩みが表れています。
プロフィールの数字を覚えるだけでなく、その時々に何を担っていたかを知ると、次の登板も少し違った目で楽しめます。
選手のプロフィールから試合の追い方まで広げたい方は、大谷翔平・日本人メジャーリーガーの観戦ガイドもご覧ください。
日本人メジャーリーガーを映像でも追いたい方には、大谷一本【日米野球】も紹介しています。

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